「M&A(企業の合併・買収)」という言葉を聞くと、多くの人はバブル期の大型買収や近年の事業承継を思い浮かべるかもしれません。しかし、日本におけるM&Aの歴史は意外にも古く、明治時代からすでに活発に行われていました。

本記事では、日本のM&Aの起源から現代までの流れを、初心者にもわかりやすく解説します。

「M&A」という言葉が日本の新聞に初めて登場したのは、1984年8月29日の日経新聞夕刊とされています。この頃から、企業買収という概念が一般にも認知され始めました。

1980年代後半のバブル期には、日本企業が潤沢な資金を背景に、海外企業の買収を積極的に行いました。代表的な事例として、1989年に三菱地所がアメリカのロックフェラーセンターを買収した案件があります。これは、日本企業の国際的な存在感を示す象徴的なM&Aとして、現在も語り継がれています。

この頃のM&Aは、主に海外進出やブランド力の獲得を目的とした「成長戦略型」のM&Aが中心でした。
しかし、この事例の約100年も前に、実は日本ではM&Aというビジネス手法が活用されていた時代がありました。

日本における最初のM&Aブームは、明治時代の紡績業界で起こりました。1880年代後半から1890年代にかけて、日本は綿糸の輸出国へと成長し、紡績業が主力産業となりました。

この時期、鐘淵紡績株式会社(現在のカネボウ)は、九州地方の紡績会社を次々と買収・合併。1897年以降、九州紡績・中津紡績・博多紡績などを取り込み、1939年までに少なくとも20件のM&Aを実施しました。結果として、数百社あった紡績会社は6つの大企業に集約され、日本は1936年に世界一の綿布輸出国となります。

このように、明治期のM&Aは「業界再編型」として、競争力強化と経営効率の向上を目的に行われていたのです。

昭和初期には、三菱・三井・住友などの財閥が、グループの勢力拡大を目的としてM&Aを活用しました。鉄鋼、鉱業、金融、商社など多岐にわたる業種で企業を統合し、財閥系企業群を形成していきます。

この時期のM&Aは、単なる買収ではなく、資本関係や人材交流を通じた「企業グループ化」が進められた点が特徴です。財閥によるM&Aは、日本の産業構造の基盤を築く重要な役割を果たしました。

昭和初期には、電力業界でも大規模なM&Aが行われました。かつて日本には850社以上の電力会社が存在していましたが、価格競争や供給安定化の必要性から、統合の動きが加速します。

大阪の日本電力は、北陸送電や越中電力などを買収し、他にも東邦電力、東京電燈、大同電力、宇治川電気などが業界再編を進めました。最終的には、逓信省の介入により電力連盟が設立され、5社間で停戦協定が結ばれます。

この「電力戦」は、業界再編型M&Aの典型例であり、現在の地域別電力会社体制の礎となりました。

欧米がM&Aの本場とされがちですが、日本でも明治時代から積極的にM&Aが行われてきました。紡績業界、財閥、電力業界など、各時代の産業構造に応じてM&Aが活用されてきた歴史があります。

つまり、日本は「M&A大国」と呼べるだけの実績と経験を持っているのです。

  • 日本のM&Aは1980年代に注目されたが、実際には19世紀末から始まっていた。
  • 紡績業界では業界再編型M&Aが成功し、日本の国際競争力を高めた。
  • 財閥や電力業界でも、企業統合を通じて産業基盤が形成された。
  • 日本は欧米に劣らないM&Aの歴史を持つ先進国である。

M&Aは企業の成長や再編、事業承継に欠かせない手段です。歴史を知ることで、現代のM&Aの意義や可能性をより深く理解することができます。

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補助金の広場代表畠中

大手企業を退職後、20代で起業しゼロから複数の事業を展開。現在は、25年以上の経営経験を活かし、認定支援機関として現場経験豊富な経営者としての目線で中小企業支援を行うほか、士業・コンサル向けに中小企業支援の実践的ノウハウを学べる機会の提供にも注力している。